「観正院」と「篠葉厳島神社」が並んで建っており、それぞれ越戸橋通りから長い参道が続きます。
(説明板)
「観正院 所在地 草加市弁天町
観正院は、新義真言宗豊山派に属する寺で、民を日の如く恵み光り照らし給うことを願い、山号を恵日山、院号を妙音院、寺号を東照寺と称し、慶長十年(一六〇五)法印俊賢の開山と伝えられている。
元和三年(一六一七)徳川家康が、東照大権と称されたことにより、東正寺と改称した。
その後、明治四十一年槐戸村(現八幡町)所在の光明山阿弥陀院観音寺と合併、二ヵ寺の山号、寺号の各一字をとり、恵光山観正院と称し、観音寺本尊を当寺に遷座安置したものである。
境内には、草加市指定文化財の寛文二年(一六六二)の地蔵(庚申)立像、延宝六年(一六七八)の地蔵(庚申)立像の二体が安置されている。
昭和六十一年三月 草加市教育委員会」
<地蔵堂>
<弁天の地蔵道標/寺号標>
参道右に寺号標、左に地蔵道標があります。
安永3(1774)年銘の寒念仏供養塔で道標となっています。
(正面) 頂部に地蔵坐像(蓮台)の浮彫、その下に「奉供養万人講寒念佛」と陰刻
(正面右)「右 蒲生道」
(正面左)「左リ 草加道」
(左面下部)「是ヨリ右 二郷半道」
<庚申塔と馬頭観音>
参道から境内に入ってすぐ左手の塀の前に石塔が四基あります。
左から、
・庚申塔 延宝6(1678)年銘の庚申塔。
・馬頭観音塔 天保6(1835)年銘の馬頭観音塔。「石工
神流斎 青木宗義」
・庚申塔 文政6(1823)年銘の庚申文字塔。
・庚申塔 享保11(1726)年銘の青面金剛庚申塔。
<地蔵(庚申)立像> 草加市文化財
参道から境内に入ってすぐ右手に石仏群があります。
・寛文2(1662)年銘の地蔵(庚申) 中央左
宝珠をもった左手損傷、頭部は後補か。
右手衣「申供養」
左手衣「奉造立供養□□為二世安樂」
・延宝6(1678)年銘の地蔵(庚申)立像 中央
光背右「奉造立庚申供養二世安樂攸」
(説明板)
「昭和五十六年一月三十一日指定
市指定有形文化財
寛文二年地蔵(庚申)立像
延宝六年地蔵(庚申)立像
草加市弁天六丁目七番二十四号 観正院
地蔵は六道を遊化して衆生を救済する菩薩であるが、のちに閻魔王の信仰と結びついて、その本地仏とされ、極楽往生を助けると信じられて、室町期には宗派に関係なく広く民間にひろまった。近世になると、火防・盗難除け・病気平癒・子育て等あらゆる庶民の願望を叶えてくれる仏として信仰され、地蔵像が造立されるようになった。
寛文二年(西暦一六六二年)の地蔵は、高さ九十五センチ、幅三十七センチ、厚さ二十六センチの丸彫り型で、頭部は後補のものであるかも知れず、宝珠を持った左手も損傷している。右腕の衣には、申供養寛文二年(西暦一六六二年)九月吉日、その右に宗清と彫ってある。この地蔵(庚申)立像は類例の少ない三例のうちの一例で、市内で最も古いものである。
延宝六年(西暦一六七八年)の地蔵は、高さ百四十二センチ、幅五十八センチ、厚さ三十二センチの光背型立像である。上部に(地蔵)の種字を彫り、向かって右に奉造立庚申供養二世安楽攸、左に延宝六戌午(西暦一六七八年)正月吉日篠葉村同行卅七人敬白とある。三十七人の結衆が、それぞれ庚申供養のために造立したものであることが理解できる。
この地蔵像は市内で二番目に古く、像容がすぐれている。
昭和五十六年三月 草加市教育委員会」
<出羽三山等供養塔>
地蔵(庚申)立像の左手に、天保11(1840)年銘の出羽三山等供養塔があります。
(正面) 「月山 湯殿山 羽黒山 西國坂東秩父
百番供養塔」
(左側面)「草加宿 石工青木宗義」
(右側面) 造立年月日と願主が刻まれています。
<板碑>
「普門品供養塔」と「宝篋印塔」の間の奥に「板碑」があります。
<庚申板碑>
墓地にある万治2(1659)年銘の庚申板碑です。
<大師堂>
<天水桶>
東京オリンピック(1964年)の聖火台を鋳造した鋳物師の鈴木文吾氏鋳造の「天水盤」です。
「平成三年七月吉日」
<本堂/修行大師像>
<厳島神社記>
明治34年の建碑です。加藤政之助撰書。
<征清凱旋頌碑>
日清戦争の凱旋碑です。明治30年12月の建碑です。
<稲荷神社>
<大六天神社>
<社殿/本殿>
社殿前に安政2年銘の「御寶前」石塔があります。