【上彦名】
○ 地蔵院跡
○ 上彦名香取神社
○ 八條橋移管記念碑
〇 八条橋
【天神】
〇 潮郷橋
○ 東京ガス「ガス導管橋」
彦成通りと旧草加流山道の交差点にある墓地に、標柱「史跡 彦名関跡」と説明板「史跡 彦名関跡」が設置されています。
説明板によると、かつて「河関」が置かれ利根川を通行する船から通行料を取り、佐原の「香取神社」の運営費に使われていたとのことです。
その後、応永26(1419)年の時点では、 彦名関は鶴岡八幡宮の支配下に移っているとのことです。
三郷ウェンズデーロータリークラブが平成10(1998)年に説明板を設置しています。
(標柱)
「史跡 彦名関跡
寄贈 三郷ウェンズデーロータリークラブ」
(説明板)
「史跡 彦名関跡
道路網が発達していなかった室町時代には、河川を利用した水運が重要な役割を果たしていました。この地域を流れる中川は、徳川幕府による利根川東遷事業が行われるまでは利根川と称し、この川を利用した水運が隆盛を誇っていました。
千葉県佐原市の香取神宮の大禰宜(神職)をつとめていた大禰宜家に伝わる嘉徳元年(一三八七年)の「大中臣長房譲状」という古文書には「しもかわへのうちひこなのせき」(下川辺の内彦名関)という地名が記されています。したがって同年には彦名地域に村落が形成されており、河関の設置もみられ、ひとびとの往来があったということです。
彦名とは、現在の上彦名・彦川戸・天神地区の古い村名にあたるといわれ、彦川戸という地名には、河関を示す「川戸」という呼称が付けられていることから、この地域に河関が設置されていたと考えられます。
彦名関では、利根川(現中川)を利用する船から通行料を徴収し、通行料は香取神宮(佐原市)の運営費用にあてられていました。
また、武州文書の延文六年(一三六一)「市場之祭文写」には「下総州下河辺彦名市祭成之」と記され、彦名には彦名関の設置とあわせて市の成立もみられます。
このほか、彦名関の支配の移り変わりを示す史料として、神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮に伝わる応永二十六年(一四一九年)の「足利持氏御判教書」という古文書には「鶴岡八幡宮領下総国下河辺河関」とあって、この時点で彦名関が香取神宮大禰宜大中臣から鶴岡八幡宮の社領へ代わったことが知られます。
こうした史料でも明らかなように、室町時代の彦名地域は、交通、流通拠点としてさぞかしにぎわったことと考えられます。(資料提供・二郷半史談会)
平成十年六月一日 三郷ウェンズデーロータリークラブ」
当社の創建は、彦名の関が香取神宮領であったことと関連があるとされています。
参道には、石燈籠型の庚申塔が置かれています。
<狛犬/鳥居>
昭和12(1937)年奉納の狛犬です。
明和4(1767)年銘の鳥居です。
<力石>
<手水鉢>
安政5(1858)年銘の手水鉢です。
元禄7(1694)年名の燈籠型の庚申塔があります。
参道右側の燈籠です。
「奉造立供養庚申待為二世安楽也」と刻まれています。
参道右
参道左 こちらの燈籠には庚申の文字は見当たりません。
<表忠碑>
昭和8(1933)年の建立で、昭和33(1958)年の改刻です。
(碑表)
「表忠碑 板倉清書」
(碑陰)
「日露戦役」「支那事変」「大正三年日獨戦」「昭和五年露社事変」「昭和七年上海事変」「昭和七年満州事変」「大東亜戦争」の従軍者名が刻まれています。
<境内社八坂社稲荷社合殿>
<石祠>
左 天神社
右 八大龍王・水神宮。天明3(1783)年の銘。
<社殿>
地蔵院は、上彦名香取神社・上彦名稲荷神社の別当を務めていたといいます。西新井組中川通四箇領八十八箇所の49番札所です。
平成9(1997)年に本堂が焼失し、令和2(2020)年4月に宗教法人圓明院と合併することとなり、跡地に石碑「地蔵院跡」が建立されています。
<札所碑>
八十八ヵ所霊場49番の札所碑です。
<大師堂>
左の弘法大師像には「十一番」、右の弘法大師像には「四十九番」とあります。
<成田山道標>
文政8(1825)年銘の成田山道標です。
右側面右下に「上彦名村」と刻まれているので、近辺にあった道標でしょう。
(正面) 中央「成田山」 左「北 吉川みち」 右「西
八条みち」
(左側面)「東 ながれ山みち」
(右側面)「南 松戸みち」
(右側面右下)「上彦名村」
<庚申塔>
(左) 寛政5(1793)年銘の庚申塔
(右) 元禄12(1699)年銘の庚申塔
彦各の関が香取神宮(千葉県佐原)の支配下に置かれ、本社の分霊が奉斎されたものと考えられています。
昭和13(1938)年6月の建碑です。
先代の八条橋は、両岸の有志で架橋組合を結成し、陸軍工兵学校の将兵300人余りにより木造橋が施工され、昭和5(1930)年11月16日に開通しました。
昭和13(1938)年3月31日に県に移管され、記念碑に八条の渡しからの経緯が記されています。
現在の「八条橋」は、昭和36(1961)年の架橋です。
国道298号及び東京外環自動車道が通る「潮郷橋」です。
中川左岸の三郷市天神1丁目と右岸の八潮市八條との間に架かる東京ガスの「ガス導管橋」です。