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 延命院(彦倉虚空蔵尊)彦成小学校講堂記念館


延命院(彦倉虚空蔵尊) 三郷市彦倉1-83-1 HP

 明星山延命院如意寺と号します。
 「西新井組中川通四箇領八十八箇所霊場」の第46番札所です。

  

「葛飾郡二郷半領彦倉村」(新編武蔵風土記稿)

 虚空蔵堂とそれに続く延命院が描かれています。

  

(標柱)
 「市指定文化財
  木造虚空像菩薩立像 壱躯
  延命院虚空蔵堂 堂宇
  指定年月日 平成二十五年三月十四日(木造虚空像菩薩立像)」
        平成二十五年八月二十日日(延命院虚空蔵堂)
  三郷市教育委員会」

  

(説明板)
「市指定文化財
 木造虚空像菩薩立像壱躯
 延命院虚空蔵堂堂宇
 明星山如意寺延命院は、真言宗豊山派の寺で、元亀年間(一五七○〜一五七三)に俊秀和尚が開山したと伝えられている。御本尊は不動明王である。
 木造虚空菩薩立像は、戦国時代初期の文明十八年(一四八六)に古利根川(現中川)で発見され、間もなく、村民が堂を建て祀り始めたと伝えられている。江戸時代後期の『新編武蔵風土記稿』にも紹介されている如く、以来、長い間三郷地域をはじめとする埼玉県内はもちろん、東京都・千葉県などの地域まで、虚空蔵尊として庶民の間に広く信仰されている。
 虚空蔵堂は、江戸時代中期の絵様を有する寺院建築であり、『新編武蔵風土記稿』には、延享二年(一七四五)に建立されたと記されている。天保期(一八三○〜四四)には無住であったが、仁王門再建を機に幕末から明治期にかけて修理整備されてきているが、今も建立当初の姿を概ね留めている。
  指定年月日 平成二十五年三月十四日(木造虚空像菩薩立像)
        平成二十五年八月二十日日(延命院虚空蔵堂)
  三郷市教育委員会」

  

(説明板)
「延命院(彦倉虚空蔵尊)
  所在地 三郷市彦倉一の八十三の一
 延命院は、明星山如意寺延命院と号し、真言宗豊山派の寺で、元亀年間(一五七○〜一五七三)に俊秀和尚が開山したと伝えられている。本尊は不動明王である。
 境内にある虚空蔵堂は縁起によると文明十八年(一四八六)に古刀禰川(現中川)より虚空蔵菩薩像が出現したので、村民が一堂を建立し、これを安置したのが始まりと伝えられ、その後の延享二年(一七四五)に御堂を再建し、現在に至っている。
 虚空蔵菩薩は伽羅の木で出来た立像で像高二尺(約六十センチメートル)あり、弘法大師の作であると伝えられている。
 延享年間に虚空蔵堂が再建されて以来、丑・寅の人々の守り本尊として礼拝され、毎年四月十三日に大護摩会や露天商、植木市等が催され、参拝客でにぎわっている。更に十二年毎の丑年の四月十三日前後には虚空菩薩像の御開帳が行われ、多くの信者が訪れている。」
◎三郷市指定文化財
 ・虚空蔵堂
 ・虚空蔵菩薩像
◎主な年間行事
 (略)
  令和二年十一月吉日 再掲」

  

<石橋>

 水路は埋められていますが、石橋が残っています。
 享和元(1801)年10月銘です。

    

<札所碑>

 「八十八」「八十八ヶ所」「吉川組 廿一大師第十三番」(明治38年の札所碑です)
 「四十六番 延命院」

    

<成田山>

  

<石燈籠>

 文政12(1829)年銘の石燈籠二基です。

   

<松尾明神>

 松尾明神が祀られています。松尾大明神の使いは鯉と亀なので、亀に乗っています。
 亀だと思いましたがよく見ると耳と牙があるので亀趺です。
 祠裏に明和6(1769)年の銘があります。

    

<南無遍照金剛>

 文政9(1826)年銘の「南無遍照金剛」塔です。

    

【石塔群】
 左から「六字名号塔」「庚申塔」「出羽三山供養塔」「庚申塔」と並んでいます。

  

「六字名号塔」
 「南無阿弥陀佛」と刻む三蓮社による造立の六字名号塔です。
 宝篋印塔を浮彫しています。

   

「庚申塔」
 宝永7(1710)年銘の青面金剛像の庚申塔です。

  

出羽三山供養塔」
 安永3(1774)年銘の出羽三山供養塔です。
 「月山湯殿山羽黒山 講中」

   

庚申塔」
 延宝8(1680)年銘の勢至菩薩を主尊とする庚申塔です。
 「庚申供養塔講衆」とあります。

    

<苗木芋種市紀念/内陣講>

 明治41年4月建立の「苗木芋種市紀念」碑です。
 植木市や種芋市で賑わったようです。

   

<山門(仁王門)>

 昭和12(1937)年に再建の山門です。
 扁額「明星山」
     

<力石>

 説明板によると、ここにある十三個の石は、昔、若者達が力くらべに使った石で、
 「内田金蔵」「福田金蔵」(同一人物)の名が刻まれているものがあり、三郷市高洲出身の「力自慢」だったとのことです。

     

(説明板)
「力石(ちからいし)
 ここにある十三個の石は、昔、若者達が力くらべに使った石です。
 若者達は、最低、米一俵が担げないと大人の仲間入りが出来ませんでした。
 江戸時代から明治にかけて各地で「力石」による「力持ち」が盛んとなり相撲興行と同じく力持
興行なども行われていました。
 「雲龍石」「四拾八貫余」に刻まれている内田金蔵、福岡金蔵は同一人物で三郷市高州の出身です。彼の名前が残る「力石」は、東京都、埼玉県、千葉県などで約十五個が見つかっています。また金蔵は、大阪の力持ちを負かした事が文献にも残されています。
 他の石に残る竪川大兼、関原金蔵なども力持ちとして有名です。
 郷土の力持ち達の貴重な文化遺産である「力石」を大切に保存してある数少ない例です。
    四日市大学・高島慎助 撰文
  平成十六年十二月 延命院 秀誉」

  

<護岸講創立記>

 護岸講創立記は、明治34年の造立です。その他種々の碑が建てられています。

     

<手水鉢>

 センサー吐水の手水鉢です。花手水があしらわれています。
 大正14(1925)年の再建です。

  

<うなぎ供養塔>

 平成17(2005)年5月の建立の「うなぎ供養塔」です。
 左に線刻の寅(とら)の像、右に丑(うし)の像が置かれています。
 球体の中には、鰻が泳いでいます。

 「うなぎ供養会」は、虚空蔵菩薩像の使者や化身とされるウナギに感謝や敬意を表します。
 毎年10月の最終日曜・月曜に「うなぎ供養会」が行われています。
 寺HPのアドレスはうなぎです。

    

(説明板)
「虚空蔵菩薩とうなぎ
 うなぎは虚空蔵さまの使者とか化身だという理由で虚空蔵さまを祀る地域および丑・寅歳生まれの人がうなぎを食べないという伝承が日本全国で数十ヶ所もあるといわれ、特徴として洪水が多発した地域ということで共通しているようです。
 彦倉虚空蔵尊を祀る当地区(三郷市彦倉)でも、このうなぎにまつわる話として次のような昔噺しが残っております。
「秋の大雨が数日続き、古利根川(中川)が増水し堤防が決壊、すると方々から“助けてくれ”と言う叫び声が聞こえ小船を漕ぎだ出して探していると、子供や老人が太い丸太の様な物に乗ったり、つかまったり、濁流の中で流されずに浮いていた。それが丸太ではなくうなぎの大群で縄の様になって寄り集まり、子供や老人の体を流れないように抑えつけて多くの人の命を救った。その恩返しの為にうなぎを一切口にしないと誓ったと言う。」
 このような話が残っているように当地区(三郷市彦倉)では非常にうなぎとの関係が深いものがあります。
 さて、うなぎは現在でもベールに包まれているように原始においては、うなぎは水神、あるいは水神の使者として崇められていた。
 さて、虚空蔵菩薩とうなぎの関係ですが、やはり洪水すなわち水と災害のつながりがあるようです。
 うなぎに水神的性格、特にうなぎが洪水の際に出現することから、洪水の権化と考えられてきた民衆の信仰と虚空蔵菩薩の持つ災害消除的性格を真言系僧侶、修験が鎌倉・室町時代に結びつけ、虚空蔵信仰の一つの表れになったものといわれています。
 つまり、うなぎの水神的性格と虚空蔵菩薩の災害消除的性格が深く関係しているようです。
 また、当虚空蔵尊にはうなぎの絵馬が多数奉納されており、うなぎは夫婦和合の象徴として、虚空蔵菩薩は子授かり・安産の仏様としても信仰され、この点においても非常に深く関係しているものであります。
 このうなぎ供養塔の建立は、すべての人が命の大切さを認識し、感謝の気持ちを持って生活し、そして国家安穏・万民豊楽を切望するものであります。
  平成十七年五月吉日  延命院第二十八世 秀誉」

  

<放生池>

 蓮の花が咲いていました。

   

<鐘楼>

  

<牛・虎石像>

 虚空蔵堂前にある、令和4(2022)年に設置された牛・虎の石像です。

   

<虚空蔵堂> 三郷市文化財

 『新編武蔵風土記稿』によると、延亭2(1745)年に建立の虚空蔵堂です。
 祀られている木造虚空蔵菩薩立像は、『新編武蔵風土記稿』によると、文明18(1486)年に現中川で発見され、村民が堂を建て祀り始めたと伝られています。
 ともに三郷市文化財に指定されています。
 扁額「虚空蔵」。

    

 屋根には「力神」がおられます。
   

 御朱印
  

<延命院本堂>

 文政3(1820)年に再建の延命院本堂です。

  

<宝篋印塔>

    

<堂宇>

  

<不詳>

  

<大師堂>

 台座に「十三番」とあり、弘法大師札所です。

  

<太子堂>

 台座の銘文によると、宝暦4(1754)年、太子講中による造立です。

  

<三界萬霊塔>

 延宝2(1674)年銘の三界萬霊塔です。

  


彦成小学校講堂記念館 三郷市文化財 三郷市彦倉1-133

 現在は、郷土資料館別館として使用されています。

   

(説明板)
「市指定文化財 三郷市立彦成小学校講堂記念館
 この建物は、大正15年3月に当時の当時の彦成村立尋常高等小学校講堂として建築されました。
 木造平屋建て講堂の天井には、蝶や花の透かし彫りがほどこされた大正建築物です。
 この講堂では、各種式典や学校行事などが行われ、学校教育活動のほかに、村の行事にも使用されました。
 「村に不学の戸なく、家に不学の人なからしめんと教育熱意あつく、子弟の教育のためには、なにごとも惜しまない」(昭和48年発行「彦成小学校百年誌」より)と唱われた学校関係者の熱意と、少年期・青年期の思い出が残る建物です。
 この貴重な建築物の保存・活用を目的に内部改装を行い、平成4年5月に市立郷土資料館として開館しました。平成26年4月には市立郷土資料館の新築・移転に伴い、三郷市立彦成小学校講堂記念館と名称を改めました。
  指定年月日 平成28年3月10日 三郷市教育委員会」

  


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