Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 旧東海道 保土ヶ谷区岩間町

  ○ 旧帷子橋跡
  ○ 江戸名所図会 帷子里 神戸村 神明宮
  ○ 岩間市民プラザ
  ○ 香象院
  ○ 見光寺


旧帷子橋跡(新町橋跡) 横浜市保土ヶ谷区岩間町1-5

 相鉄線「天王町駅」前の天王町駅前公園に、帷子橋跡モニュメントがあります。
 現在は相鉄線天王町駅の北側を流れる帷子川は、付け替えられる前は、天王町駅の南側を流れていました。

    

    

(説明板)
「横浜市地域史跡 旧帷子橋跡
  登録年月日 平成十年十一月九日
  所在地 保土ヶ谷区岩間町一丁目五番地
  所有者 横浜市
  登録区域 保土ヶ谷区岩間町一丁目五番地の一部
 江戸時代、東海道が帷子川を渡る地点に架けられていた帷子橋は、絵画に描かれたり、歌や俳句に詠まれるなど、保土ヶ谷宿を代表する風景として知られていました。中でも初代広重の「東海道五十三次之内 保土ヶ谷」は特に有名です。
 大橋や新町橋などとも呼ばれていた帷子橋について、『新篇武蔵風土記稿』の帷子町(保土ヶ谷宿のうち)の項には、「帷子橋 帷子川ニ架ス板橋ニテ高欄ツキナリ、長十五間、幅三間、御普請所ナリ」という記載がみられます。
 昭和三十九年(一九六四)七月に、帷子川の流れがそれまでの相鉄線天王町駅南側から北側に付け替えられたのに伴い、帷子橋の位置も変わりました。かつての帷子橋の跡地は、現在の天王町駅前公園の一部にあたります。
  横浜市教育委員会」

    

(案内板)
 「歴史の道 旧東海道
  →旧古町橋跡  230m
  ↑問屋場跡   900m
  ↑本陣跡    1270m
  ↓江戸方見附跡 690m
   平成16年3月 保土ヶ谷区役所」

   

(案内板)
「歴史の道 東海道保土ヶ谷宿 周辺散策案内図
 保土ヶ谷宿は慶長6年(1601年)に宿駅・伝馬制度が定められると同時に設置され、東海道五十三次、江戸から4番目の宿場町(1601年発足当時は川崎宿と戸塚宿は未整備)として栄えました。また、慶安元年(1648年)頃に大改修がされ、道筋がかわりました。初代歌川広重の浮世絵で有名な帷子橋(新町橋)もこの時架けられましたが、現在、古道の正確な道筋に関して諸説があり特定されていません。
 この案内図では、本陣跡や寺社、石碑等当時の面影を伝えている史跡を中心に散策できるようご案内しています。
 保土ヶ谷と保土ヶ谷宿の歴史を感じてみてください。保土ヶ谷区役所」

    

(標柱)
 「天王町駅前公園 旧東海道保土ヶ谷宿」
 「江戸日本橋より八里」
 「旧帷子橋跡の記念碑」
 「平成十年三月三十一日」

      

「さわやかまちかど 天王寺駅前公園
 ヨコハマさわやか運動市・区本部」

  


○浮世絵に見る帷子橋

「江戸名所図会 帷子川」

  

「東海道五拾三次之内 保土ヶ谷 新町橋」(広重)
 帷子川に架けられた新町橋を渡ると保土ヶ谷です。

  

「東海道 五 五十三次 程か谷」(広重 ボストン美術館)

  

「東海道五十三次之内 保土ケ谷図」(国貞)
 帷子橋が描かれています。

  

「大正期の保土ヶ谷」(広重画五拾三次現状写真対照 1918年)
 大正期の帷子橋の写真です。

  


○江戸名所図会 帷子里 神戸村 神明宮

 挿絵の下に描かれている道が東海道です。右上を流れているのは帷子川です。
 挿絵には、
 「平安紀行 かたひらと名付く所にて
 日盛りは かたはた脱ぎて 旅人の 汗水になる かたひらの里 持資」とあり
 太田道灌の紀行文「平安紀行」(文明12(1480)年)が引用されています。

  


岩間市民プラザ 横浜市保土ケ谷区岩間町1-7-15

 東海道沿いの岩間市民プラザには、歴史の道のモニュメントが置かれています。

 「旧東海道 保土ヶ谷宿歴史の道」

  


香象院 横浜市保土ケ谷区岩間町2-153

 普賢山香象院と号します。東国八十八ヵ所霊場26番です。
 山門に大きな鉄釜が左右に置かれていますが、かつて本堂の前に置かれていた天水桶です。
 江戸時代には保土ケ谷宿で最大の寺子屋があり、明治6(1873)年に保土ヶ谷小学校の分校となりました。

     

     

  


見光寺 横浜市保土ケ谷区岩間町2-140

 大誉山珂山院見光寺と号します。

     

 境内に保土ヶ谷出身のコラムニスト青木雨彦氏の句碑があります。
 「塗箸の 剥げて小芋の 煮ころがし 雨彦」

  

(プレート文)
「青木雨彦 コラムニスト
 一九三二年横浜市保土ケ谷区に生まれる 都会的辛口の文章で独特の境地を拓く 一九九一年三月没 当寺に眠る
 一九九三年二月二十八日 建立実行委員会委員長 平戸健市」

  


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