宝幢寺(ほうどうじ)は、吉祥院(足立区本木)の末寺だった寺です。
墓地が離れたところにあり、出羽三山等供養塔や、庚申塔六阿弥陀道標など石塔が色々とあります。
現在宝幢寺が存するのは江戸時代は鶴ケ曾根村で、墓地が存するのは松之木村です。
<松之木墓苑/札所碑>
山門脇に石塔がありますが、植栽に隠れて上しか文字が見えません。
「新四國〜」とあるので、新四国四箇領八十八ヶ所霊場68番の札所碑かと思います。
松之木墓苑の裏にも門があります。
<六地蔵>
墓苑に入ってすぐ右手に六地蔵家屋があります。家屋は昭和57(1982)年の新築です。
享保7(1722)年銘の六地蔵です。
「武州埼玉郡八条領松木村」の銘があります。
「馬頭観世音」「妙法水神」
六地蔵家屋手前右手に、「馬頭観世音」「妙法水神」(大正15年)があります。
<普門品供養塔>
六地蔵家屋手前左手にある弘化2(1845)年銘の普門品供養塔です。
右側面「天下泰平 国土安全」
【石塔三基】
通路左手植栽に、石塔が三基あります。
出羽三山の他、多数の霊山が刻まれています。
明治時代の造立なので、羽黒山、月山、湯殿山の順に並んでいます。
「富士山 羽黒山 月山 湯殿山 立山 白山」
「奉 四國西國秩父坂東 伊勢両宮嶽□欠落」
「天下泰平 家内安全 以下欠落」
「明治三十五年」
<庚申塔>
寛政12(1800)年銘の庚申塔です。
「武州埼玉郡八条領松野木村」と刻まれています。
宝暦8(1758)年銘の庚申塔六阿弥陀道標です。
(正面) 青面金剛立像を陽刻
(右面)「是より右 六阿ミ多”みち」
新六阿弥陀が、船渡村(現越谷市)の受道によって天明8(1788)年に始められています。
これ以前の道標であり、六阿弥陀の道標と思われます。
下妻道から六阿弥陀に向かう分岐点にあったものと推定します。
<松之木公民館> 八潮市緑町3-18-2
墓苑内に松之木公民館があります。
<馬頭観音>
無縁塔の右に、文政13(1829)年銘の馬頭観音があります。
「馬持講中」とあります。
松之木村の個人名が並んでいます。
葛西用水にかかる伊草新橋の袂に、道標を兼ねた出羽三山等供養塔があります。
天保12(1841)の造立です。
(正面中央) 「月山 湯殿山 羽?山 四國西國秩父坂東
拝礼供養塔」
(正面下部右)「天下泰平 南 江戸 淺草江 三り」
(正面下部左)「国土安穏 北、こし可やへ 二り 岩つきへ
五り」
(右面下部) 「まつとへ 二り半 市川へ 四り」
(左面)「成田山」(左面下部)「八条へ 十八丁 なかれ山へ
二り」
道標部分がよく読み取れず「近世以前の土木・産業遺産」を参照しました。