○ 神戸港
・神戸港震災メモリアルパーク
・安宅丸
○ 相楽園
○ 神戸中華街
○ 異人館街
○ フロインドリーブ(国重要文化財)
【掛け流し温泉銭湯】 → こちら
○ 六甲おとめ塚温泉 神戸市灘区
○ 灘温泉六甲道店 神戸市灘区
古来「兵庫港」は、「日宋貿易」の中心として栄えていました。
江戸幕府は、兵庫開港は延ばしに延ばしていましたが、安政五カ国条約締結から10年を経過した慶応3年12月7日(1868年1月1日)に開港しました。
神戸市章は、神戸港がもともと『扇港』とも呼ばれ、また『兵庫』と『神戸』の両港が扇を二つ並べたような形をしているという理由で、
神戸の旧仮名遣いである『カウベ』のカの字を図案化したものとなっています。
現在は、兵庫港と神戸港をあわせて神戸港とされています。
阪神淡路大震災の実物の震災遺構と震災の記録が屋外展示されています。
「御座船安宅丸」と「ロイヤルプリンセス」が神戸ベイを巡っています
御座船安宅丸は江戸幕府3代将軍家光公の命により造られた巨船です。
この「安宅丸」をモチーフにして作られた船が2021年5月に東京湾での役目を終え、神戸港での遊覧に供されています。
「安宅丸」については、こちらで記載。
兵庫県庁の真裏に「相楽園」はあります。国文化財の宝庫です。
(説明板)
「相楽園
相楽園は、本市都市公園のうち唯一の日本市式庭園であって元市長小寺謙吉氏の先代小寺泰二郎氏が明治18年頃建造に着手し、明治末期に完成したものである。
庭園の様式は、廻遊式林泉園で、加えて明治時代欧米化の影響を受けて広場も併設されている。
当時、一般からは「小寺邸」または「蘇鉄園」と呼ばれていたが、昭和16年3月神戸市へ譲渡され同年11月から「相楽園」として一般公開されている。
戦前には園内に豪壮な本邸その他付属建物があったが第二次大戦により焼失し旧建物としては、欧風スタイルの厩舎(昭和45年6月重要文化財指定)、塀及び各門が名残をとどめている。
その後、旧ハツサム住宅(昭和36年6月重要文化財指定)、相楽園会館、茶室(昭和38年10月完成)などが建築され、また昭和55年3月には牛尾氏より寄付のあった船屋形(昭和28年8月重要文化財指定)の移築が行われ、往時にまさる景観が見られるようになった。
なお、園内には楠の大木、蘇鉄林、大燈龍が今なお雄大な景観を保っている。敷地面積は、19,566平方メートルである。」
<旧小寺家厩舎> 国重要文化財
(説明板)
「重要文化財 旧小寺家厩舎(昭和45年6月17日指定)
この建物は、相楽園の所有者であった元神戸市長小寺謙吉氏が明治43年頃に厩舎としてこの地に建てたもので、園内に残る創建当初の数少ない遺構の一つです。
構造は、煉瓦造りの一階に木造の小屋組をのせたドイツ風の重厚な造りで、正面一階は馬車庫、二階は厩務員の宿舎、東側は吹抜けの高い天井をもつ馬房になっています。
これだけの規模と構造をもつ厩舎は全国でも例がなく、設計者河合浩蔵(明治・大正期官庁建築を中心に関西で活躍した建築家。神戸地方裁判所も彼の作品。)の代表作の?つに数えられるものです。
昭和55年には建物の詳しい設計図が約60枚も見つかり、貴重な資料として建物とともに重要文化財に指定されました。」
<旧ハツサム住宅> 国重要文化財
阪神・淡路大震災時に屋根から落下した煙突が前庭に保存されています。
(説明板)
「重要文化財 旧ハツサム住宅(昭和36年6月7日指定)
この建物は、インド系イギリス人貿易商J.K.ハッサム氏が、明治35年に自邸として建てたものです。かつては中央区北野町にありましたが、昭和38年にこの地に移築されました。
中央廊下をはさんで両側に居室を配して、前面にべラングをとり、さらに渡廊下で後ろの付属室と結ばれています。この形式はコロニアルスタイル(植民地形式)と呼ばれ、明治時代神戸で活躍した外国人たちの住宅(異人館)の特徴をよく伝えています。
北野町時代は一階、二階ともベランダ部分には全部ガラス窓が蕨め込まれていましたが、移築にあたってすべて開放して建築当初の形に復原しました。
なお旧ハッサム住宅は、主屋の他付属屋、倉庫、東門が重要文化財に指定されています。」
<船屋形> 国重要文化財
現存する川御座船としては、国内で唯一のものです。
(説明板)
「国指定重要文化財 船屋形 1棟
○建造年代 江戸時代前期
○指定年月日 昭和28年8月29日
この建物は、江戸時代に姫路藩主が河川での遊覧用に使っていた川御座船の屋形部分です。江戸時代の末まで水上に浮かんでいましたが、明治初年に飾磨港付近から高砂に移され、この時に屋形だけが陸上げされ、茶室として利用するために船框から下を継ぎ足したものと思われます。その後、昭和16年に前所有者である牛尾吉朗邸(神戸市垂水区舞子)へ移築され、昭和53年に同氏より神戸市が寄贈を受け、この場所に移築したものです。
木部は内外共すべて漆塗で、木肌の見える春慶塗と重厚な黒漆塗とに塗りわけ、長押や垂木の先端などに金箔を施した飾り金具を打ち、また建具の桟を黒漆、その間を金箔押しとするなど非常に華麗に、しかも繊細な造りとなっています。
建造年代は、飾り金具の家紋の痕跡から、本多侯が入封した天和2年(1682)から宝永元年(1704)の間と推定されます。
江戸時代、西国諸大名は参勤交代のために競って御座船を造りましたが、現存するのは数少なく、なかでも川御座船としてはこれが唯一のものです。」
平成11年12月 神戸市教育委員会」
<大クスノキ>
樹齢約500年と伝えられる大クスノキです。
「相楽園の一本樟よ かぐわしき緑の枝を 四方に張り 仲郷三郎」
トンポーロー(豚の角煮まん)を食べました。
築地居留地は、1923年の関東大震災で立ち並んでいた洋館は全て失われていますが、
神戸居留地は、その雰囲気を残す異人館が異人館街に多く保存されています。
(参考)築地居留地(こちらで記載)
<多様な宗教施設が共存するまち>
<神戸ムスリムモスク> 神戸市中央区中山手通2-25-14 HP
<伝統的建造物群保存地区> 国選定
(説明板)
「重要伝統的建造物群保存地区 神戸市北野町山本通伝統的建造物群保存地区
神戸のまちは、青い海と緑豊かな六甲山という恵まれた自然を背景に、世界に開かれた港をもつ、明るく開放的で異国情緒豊かな一面を持つ近代的都市として知られています。
このような神戸のまちの性格は、古い港町としての歴史と、慶応3年12月7日(1868年1月1日)、諸外国に向けて港を開いたことに由来しています。
北野町、山本通のある山手一帯は、居留地の商館街と異なって、緩やかな南斜面の見晴らしのよい田園地帯でしたが、早くから住宅地として外国人たちに注目され、明治初年から住宅が建てられました。本格的な外国人住宅地として発展するのは明治20年代からで、第二次世界大戦まで、この辺りには200棟以上の洋風建築物と和風建築物が建ち並び、独特の雰囲気のある住宅地となっていました。
大戦による戦災や、戦後の経済成長の余波、さらに老朽化によって、多くの洋風建築物が消滅しましたが、残っている洋風建築物は、それぞれ個性的な建ち姿をみせ、今なお異国情緒豊かな当時の面影を残しています。
神戸市は、昭和54年(1979)12月27日、都市景観条例に基づく伝統的建造物群保存地区を決定し、その周辺を景観計画区域としました。
昭和55年(1980)、和洋混在する町並みが評価され、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
神戸市では、今後も洋風建築物や伝統的な和風住宅の建ちならぶ町並みをまもり、そだて、うるおいのある町となるよう地元の方とともに取り組んでいきます。
神戸市」
<北野町広場/北野町中公園> 神戸市中央区北野町3-10
北野坂を登ったところに北野町広場があります。
日本のJAZZ発祥の地は神戸であり、ジャズを演奏する銅像が合計4体あります。
<萌黄の館> 国重要文化財 神戸市中央区北野町3-10-11
明治36(1903)年に、アメリカ総領事ハンターシャープ氏の邸宅として建築されました。
<風見鶏の館> 国重要文化財 神戸市中央区北野町3-13-3
明治42(1909)年頃にドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏の自邸として建てられました。
<うろこの家> 国有形文化財 神戸市中央区北野町2-20-4
明治38(1905)年頃、神戸旧居留地に高級借家として建設され、
大正年間に北野町に移建された西洋館で、後にドイツ人R.ハリヤーの住居となりました。
<ラインの館> 神戸市中央区北野町2-10-24
大正4(1915)年にフランス生まれのJ.Rドレウェル夫人により建築され、大正9(1920)年に亡くなるまでこの館で暮らしました。
伝統的建造物群保存地区の案内センターとなっており、入観無料です。
海が見えます。
<旧アメリカ領事館官舎> 神戸市中央区北野町2-9-6
神戸市が耐震補強工事中でした。2023年5月末に工事終了予定で、北野美術館が運営に当ります。
日本ではじめて本格的なドイツパンのお店を開いたのが、創業大正13(192)年の「フロインドリーブ」です。
フロインドリーブ本店(旧ユニオン教会)は、国の重要文化財に登録されています。
アップルパイを食べました。
チーズケーキを食べました。
デンマークチーズが載っていて、焼いてチーズが溶けてから食べます。
バウムクーヘンを食べました。