【稲荷木】
○ 稲荷木稲荷神社
○ 稲荷木一本松/延命地蔵尊
稲荷木の鎮守社として寛永12(1635)年に創建。
<出羽三山供養塔>
稲荷木(とうかぎ)稲荷神社に出羽三山供養塔が二基あります。
「國幣中社出羽神社 官幣大社月山神社 國幣中社湯殿山神社」
「出羽大神 月山大神 湯殿山大神」
大正15年の奉納です。
<天満宮>
<御歳大神>
<三祠>
石祠が3つ並んでいます。
左から順に「疱瘡神」「疱瘡神」「水神宮」
京葉道路高架下の脇、一本松バス停の後ろに「稲荷木一本松/延命地蔵尊」があります。
<一本松跡>
松の根元があります。
(説明板)
「稲荷木(とうかぎ)一本松
むかし、行徳から市川に向かうには、今日の行徳橋あたりから稲荷木の雙林寺前を通り、稲荷神社からこの地に出て、江戸川沿いに大和田・大洲・市川南を経て国道十四号線(時代によって上総道・佐倉道・千葉街道とも呼ばれた。)に出、市川に至ったものです。
伝えによると、慶長年間(一五九六〜一六一五)、伊奈備前守忠次が徳川家康の命によって、上総道の改修にあたったさい、新たに八幡と行徳を結ぶ八幡新道をつくって、その分岐点に松を植えたのが、この『一本松』の由来ということです。
この松も京葉道路ができると、排気ガスの影響などによって枯死を早め、昭和四十八年に伐採されました。(伐採時の樹齢約百八十年)
昭和五十五年六月二十日 市川市教育委員会」
(碑文)
「延命地蔵之由来
この地蔵尊は享保十二年(一七二七年)祖先椎名茂右衛門が千葉街道(国道十四号)と行徳街道の交わる八幡の四つ角に道標としてまた通行の安全と辻斬り・追い剥ぎ等の災難にあわれた人達の供養のため建立したものという。
昭和六年国道の拡幅工事のため心ある地元の方々により道向こうの南側に移し爾来人々の諸願の守護地蔵として信仰され今日に至ったがこのたび都営地下鉄十号線の千葉県乗り入れに伴ない駅入口の予定地となったのでやむなく奉納者の地元稲荷木に移転することとなり此所の「一本松」の地に安置するに至ったものである。
吾在今日無事感謝祖先残後世此由来建立本碑
昭和六十年七月十五日 稲荷木自治会長 椎名 茂」
<稲荷木の延命地蔵尊道標>
2度の移設を経て現在地に遷座。
台石が道標となっています。
享保12(1727)年の造立。
<稲荷木の庚申塔道標>
移設です。
右面「これより右 やわたとうり 正徳三癸巳歳」
左面「これより左 市川国分寺みち」
正徳3(1713)年の造立。
<馬頭観音>
<燈籠と石碑>