【草加市】
○ 月山 湯殿山 羽黒山
三所大権現 (清門稲荷神社)
清門町集会所の奥に、清門稲荷神社(田中稲荷神社)があります。
江戸時代には名主田中八右衛門氏の所有で、田中稲荷と呼ばれていました。
集会所の横を進むと「耕地整理紀念碑」があります。
参道右手に手水舎、左手に石塔が並んでいます。
<石碑群>
参道左手に石碑群。
<笠付型庚申塔>
宝暦2(1752)年銘の庚申塔です。
両脇の猿は内を向き、右と中央の猿は、片手で目、耳をふさいでいます。
<駒型庚申塔>
安永5(1776)年銘の庚申塔です。
両脇の猿は内を向いています。
左面「般若心経三万読誦」「滅罪生善 両願円満」と刻まれています。
<疱瘡神>
宝暦11(1761)年銘の「疱瘡守護神」石祠です。
左面「奉造立諸願成就所」「三密修行法印順海」
<出羽三山供養塔>
慶応元(1865)年銘の出羽三山供養塔です。
正面「月山 湯殿山 羽黒山 三所大権現」
左面「大先達 羽黒別当 正穏院」「清右衛門新田講中」
<不動明王>
文久3(1863)年銘の不動明王。道標を兼ねています。
正面「成田山 真大山 不動明王」
正面下部と右側面下部に地名と里程が刻まれ、道標となっています。
(中央)「東 成田へ 拾七里」
(同右)「南、王子へ 三里半/志里ん薬師 三十丁/前川観音へ
二里/鳩ヶ谷へ 壱里/川口善光寺へ 二り」、
(同左)「西 大宮へ 五里/い者つきへ 四里/志"おんじへ
五里」
(同左端)「北、大さ可”みへ 二り/こし可"や
一り十丁/吉川へ 二り半」
(右面)「東、西新井大師 二里/駒木すはへ 四里/千住へ
二里半/草加へ 壱里/か□山へ □道」
(「近世以前の土木・産業遺産」(岡山大学名誉教授馬場俊介)から引用)
<地蔵菩薩立像>
「昭和五十二年十二月建」の地蔵菩薩立像です。
<石祠弁財天宮>
宝暦11(1761)年銘の宇賀神と習合した琵琶を抱えた弁財天像です。台石には「巳待講中」とあります。
「願主 地主 赤山領清右衛門新田 田中八右衛門保泰」とあり、疱瘡神と不動明王にも刻まれている田中稲荷由来の名主です。
<その他>
<力石>
五基の力石と説明板があります。説明板には「田中稲荷神社」とあります。
(説明板)
「力石(ちからいし)
前にある石を、力石と言います。江戸時代から明治の頃、若者達が集まり、力試しや、力自慢に使用されました。その方法は、持ち上げる、肩に担ぐ、差し上げる、等です。
ここにある石の由来は明らかではないが、地元の有志の方の寄贈によるもので、昔の若者達の遊びの少なかった時代の生活と娯楽の一端を知るうえで貴重な資料であると思われます。
田中稲荷神社」
<中道天満宮>
社殿と末社が昭和44年(1969)に改築の碑が建っています。
「稲荷神社 天満宮社 改築記念碑」
石標柱には「中道天満宮」(昭和56(1981)年)とあります。
菅原道真公が祭られています。
<手水舎/狐/石標柱/社殿>
社殿前の石標柱は「清門稲荷大明神」です。
「平成二十三年六月吉日
正一位 清門稲荷大明神
清門町氏子中」
社殿内の扁額は「田中稲荷大明神」です。