○宝持院
武蔵国八十八ヶ所霊場第六番、谷塚小学校発祥の地です。
出羽三山供養塔と六阿弥陀道標を見てきました。
山門の瓢箪から駒が次から次へと出てくる彫刻が印象的でした。
<山門/瓢箪から駒が出る>
参道に大きな寺号標「長久山寶持院」
山門には、躍動的で精緻な馬が彫られています。
右手の男が持つ瓢箪から駒が出ています。1頭だけではなく、馬、馬、馬!
<忠魂碑>
参道左手に、大正14(1925)年銘の忠魂碑があります。
(碑面)「忠魂碑 元帥伯爵大山巖書」
(裏面)「帝國在郷軍人會谷塚村分會 大正十四年三月」
<六地蔵尊/いぼ地蔵尊>
参道右手に「六地蔵尊」と、享保11(1726)年銘の「いぼ地蔵尊」がおられます。
<谷塚小学校発祥の地>
谷塚小学校は、明治6年(1873)に「下谷塚小学校」として宝持院で開校しています。
<左手のお堂>
<本堂>
<無縁塔>
<石塔群>
墓地の横に、墓地を背に石塔群が建っています。
一番左は、安永2(1773)年銘の庚申塔六阿弥陀道道標です。
道標としては、定番の大師道はなく、六阿弥陀道のみを示し、六阿弥陀詣がさかんだったことが伺えます。
(正面) 青面金剛立像
(左側面)「六阿弥陀道 左」「下谷塚村講中」
(右側面)「安永二癸巳星十一月 奉建立青面金剛之像」
<庚申塔>
左から二基目は、寛文3(1663)年銘の庚申塔です。中央に三猿です。
<不動尊像>
左から三基目は、宝暦9(1759)年銘の不動明王坐像です。
<庚申塔>
左から四基目は、正徳2(1712)年銘の庚申塔です。
左から五基目は、文久2(1862)年銘(推測)の出羽三山供養塔です。
(正面)「月山湯殿山羽黒山 三所大権現」です。
(台石)「講中」
(右側面)「天下泰平 國家安穏 五穀豊登 萬民快楽」
「武州国足立郡谷古田領下谷塚村」
(左側面) 紀年がありますが、よく読めない、「文久□壬戌年」から、文久2年と推測。
大先達は大乗院。
<普門品供養塔/札所標石>
六基目は、文政3(1820)年銘の普門品供養塔で、札所標石を兼ねています。
札所標石は一般的に山門近辺にあるのが普通ですが、ここにあるということは廃れたのでしょうね。
(左側面)「四國八十八箇所第六番写 宝持院」
武蔵国八十八ヶ所霊場の第六番で、標石となっています。
<石碑>
最後の七基目は、わかりません。