【草加市】その1
○ 月山 湯殿山 羽黒山
三所大権現 (柳島大日堂)
○ 湯殿山 月山 羽黒山 三所大権現 (旭神社)
○ 湯殿山講供養佛
(薬師堂)
大日堂跡ですが、六地蔵・馬頭観音、出羽三山碑等、墓地、大日堂会館があります。
武蔵国八十八ヶ所霊場、54番です。
県道沿でバス停脇にあります。
<3基の石碑>
享保18(1733)年銘の青面金剛
天保12(1841)年銘の出羽三山大権現 石工:青木宗義
文政12(1829)年銘の各号塔 石工:青木宗義
天保12(1841)年銘の出羽三山大権現
「月山 湯殿山 羽黒山 三所大権現」「天下太平」「五穀豊穣」
「大先達 大乗院」
「秩父 西国 坂東 百番札所観世音」
<六地蔵・馬頭観音>
享保6(1721)年の六地蔵
文政10(1827)年の馬頭観音
近隣の神社を合祀する際に、氷川神社から旭神社へと社号変更していますが、
氷川神社と呼ばれることが多いようです。
<蛇ねじり>
鳥居には「蛇ねじり」と呼ばれるわらでつくった蛇がかけられています。
<5基の石碑>
鳥居の右に5基の石碑が並んでいます。
1番左 「湯殿山 月山 羽黒山 三所大権現」
文政5(1822)年建立です。
正面下に左「天下泰平」右「日月清明」と刻まれています。
天下泰平はよく見ますが、日月清明は初めて見ました。
「大先達 大乗院」とあるのは、定番ですね。
2番目 青面金剛。明和2(1765)年の建立。
3番目 不動尊立像。
4番目 青面金剛。享保9(1724)年の建立。
5番目 「奉供養光明真言百万遍結衆男女」正徳4(1714)年の建立。百万遍供養塔。
光明真言は密教の真言で、越谷の迎攝院に光明真言講中と刻まれた碑がありました。
<算額>
入口の説明板にて算額(草加市文化財)が奉納されているとあります。
草加市の歴史民俗資料館にレプリカが展示されているようですがロストしました。
(説明板)
「市指定文化財
金明町氷川(旭)神社の算額
所在地 草加市金明町
算額とは江戸時代から昭和にかけての数学者が掲げた絵馬であり、問題が解けるよう祈願したのが始まりで、解ければその札の意味でまた奉納している。
全国に数百面現存し、埼玉県内にも九十面近くあり、この氷川(旭)神社の額は七番目に古い貴重な額である。
草加地方での江戸期の数学者、いわゆる和算家で、今までに知られた人物を列記すれば昼間妻助義高、吉岡佐兵衛信好、大川図書、近藤重次郎直信、谷塚茂左衛門良慶となるであろう。
このように、この算額は市唯一の算額であり、古いながらも保存よく、しかも、奉納者の系統も明らかで県下で所沢に一面しかない宮城流という珍しい貴重な文化遺産である。
草加市にとっても、誠に貴重なものであるといわざるを得ない。
昭和五十四年三月 草加市教育委員会」
<誠忠碑>
「陸軍大将子爵大迫尚敏書」
陸軍大将大迫尚は、日露戦争では、二〇三高地の攻撃に当たり、その後も奉天会戦に参戦しています。
明治40年(1907年)9月、子爵に陞爵。大正元(1912)年11月から殉死した乃木希典大将の後任として
学習院院長に就任しています。昭和2(1927)年9月20日、薨去。享年84。
以上Wikipediaより概略記載。
<力石>
誠忠碑の裏に力石が7つ置かれています。
(参考)
「お日待(金明町)
氷川神社(旭神社)のお日待(ひまち)は、毎年十月十四日を宵宮、翌十五日がお日待の日と決められています。この準備は年番制になっていて、お日待の二日前、十三日には年番の組の者が稲ワラを持ちより、早朝から全長5メートルほどの蛇の形に編み、神社の鳥居にかけ、夜になると灯ろうに火をともします。当日は、年番が餅をつき大きな鏡餅を作り、参詣する村人や氏子の家に配りました。
神社はこの日、毎日の作業で鍛えあげた体力を示そうと、相撲大会や力自慢が始まります。境内にはにわか土俵が作られ、村人が次々と土俵に上り、激しく勝敗を競いました。相撲が一段落すると、今度は境内にある力石を持ち上げ始めます。この力石は講の人が奉納したもので、それぞれに二十貫、三十貫、四十貫(一貫は約3.75キログラム)などの数字と講の名称が刻み込まれています。ただ持ち上げたり担ぐだけではだめで、力石を担いだままで神社を何周できるかを競いました。
氷川神社では、今も十三日に蛇ねじりを年番の組が行っています。しかし、お日待は娯楽が増えたためか以前のにぎわいはなく、境内には力石がひっそりところがっています。」
(広報そうか 第371号 昭和56年10月20日号「楽しみは力石と相撲」を長文のため、かなり縮めました。原文はこちらに掲載されています。)
(説明板)
「力石(ちからいし)
前にある石を、力石と言います。江戸時代から明治の頃、若者達が集まり、力試しや、力自慢に使用されました。その方法は、持ち上げる、肩に担ぐ、差し上げる、等です。
ここにある石の由来は明らかではないが、地元の有志の方の寄贈によるもので、昔の若者達の遊びの少なかった時代の生活と娯楽の一端を知るうえで貴重な資料であると思われます。
氷川神社」
<手水舎>
手水石は天保11(1840)年の造立で、「願主 三山講中」と刻まれています。
<三山講中燈籠台座>
三山講中と刻まれた燈籠の台座があります。
<社殿>
<境内社>
平成11(1999)年に新築された境内社が3つあります。
「古峯神社」 入り口脇にあります。
「三峰神社」 誠忠碑裏にあります。
「棒名神社」 神社裏手にあります。
<不明の石祠>
何の石祠だか不明です。
道祖神ですかね、あるいは草鞋が奉納されているので、人力車組合が奉納した足尾神社かな?
足尾神社は合祀されていないはずですけど。
<くわい畑>
クワイ水田がいい雰囲気を醸し出しています。
クワイは1年に1回、正月にしか食べないし、クワイの栽培光景を見るのは初めてです。
畑で採れると思っていたので、水田だったのが意表を突かれました。
綾瀬川流域の湿地で盛んだったクワイ栽培ですが、
草加市で残っているのは、ここ駒崎さんのクワイ田だけとなっています。
天皇陛下のご即位を祝う「饗宴の儀」に、駒崎さんのクワイが献上されています。
旧日光街道沿に薬師堂の参道があり、案内板が出ています。
「薬師堂
毎年 4月8日(花祭り)
→
入口
弘法大師 薬師如来 子育地蔵」
<石塔群>
参道左手に4基の石塔と六地蔵が並んでいます。
<湯殿山講供養佛>
明和元(1764)年銘の湯殿山供養塔です。
大日如来の浮き彫りに「湯殿山講供養佛」と刻んでいます。
栃木県や福島県では湯殿山だけ刻むのは多々見かけますが、それ以外では少ないかも。
<庚申塔>
元文3(1738)年銘の庚申塔です。
邪鬼はあおむけで青面金剛に踏まれています(初めて見るかな)。
三猿の両脇の猿は内側を向いています。
<墓石>
前列左の石塔裏面には3つの日付があり、宝暦、延享、元文の元号が見えます。僧侶の墓石か供養塔のようです。
後列左の石塔も墓石のようです。
<六地蔵>
造立年の記銘は見当たりません。
<力石>
力石が六基と説明板があります。
(説明板)
「力石(ちからいし)
前にある石を、力石と言います。江戸時代から明治の頃、若者達が集まり、力試しや、力自慢に使用されました。その方法は、持ち上げる、肩に担ぐ、差し上げる、等です。
ここにある石の由来は明らかではないが、地元の有志の方の寄贈によるもので、昔の若者達の遊びの少なかった時代の生活と娯楽の一端を知るうえで貴重な資料であると思われます。
薬師堂」
<薬師堂>
薬師堂は、平成22(2010)年10月に新築されています。
「弘法大師」「薬師如来」「子育地蔵」がお祀りされています。