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 草加神社氷川中公園


草加神社 草加市氷川町2118-2 HP

 草加神社は、天正年間(1573-1592)に大宮氷川神社を勧請、氷川社として創建されました。
 明治42(1909)年に近隣の11社を合祀、草加神社と改称したといいます。

<社号標>

 参道入口にある社号標「草加神社」です。

  

<幟建石>

(左)「昭昭霊徳」
   「維時明治三十八年十一月吉日
    半領中根聞書」

(右)「赫赫神威」
   「七世浅古半右衛門建之」

      

<一之鳥居/参道>

     

<二之鳥居>

   

(説明板「草加神社本殿」)
「昭和五十八年二月二十二日指定 市指定有形文化財(建造物)
 草加神社本殿
 草加神社は氷川社ともよばれ、天正(一五七三〜一五九二)の頃、小さな祠を祭ったのが始まりと伝える。その後、享保二年(一七一七)四月十六日、正一位氷川大明神の位がおくられている。明治四十二年(一九〇九)に付近の十一社を合祀し、社名を草加神社と改めた。
 本殿は、間口二・二七メートル、奥行一・九一メートル、向拝の出一・七三メートルの一間社流造である。
 建物は天保(一八三〇〜一八四三)頃の造営と伝えている。
屋根は銅板葺とするが本来は桧皮葺であったと思われる。
棟をT字型に配し、正面に千鳥破風を見せているのは棟に鰹木・置千木を用いているのと併せて装飾性も持たせるための手法と思われる。銅板葺のやや厚ぼったい軒先は護持のためよむをえないが、現在は本殿全体を保護するために覆屋が作られているので、流造本来の姿に戻せたらと思われる。
柱・桁などの構造材には欅材を用い、木太く雄大な姿を見せる。
向背の角柱正面には波紋が見える。浜床部分・上下の斗棋、間や壁板に配される彫刻は建物本体を凌駕するほどではないが、優美な姿を見せる。題材は中国の仙人の物語に由来する。木花や手狭は籠型に仕上げている。
 平成十六年に拝殿が整備されその姿は一新された。本殿廻りの旧玉垣には弘化三年(一八四六)の銘が刻まれていたが、現在は本殿と木造の隙塀が一体となって美しい様相を見せている。
  平成二十二年三月 草加市教育委員会」

  

「御大典記念 平成二年十月吉日建之」
  鳥居をくぐった先の左手にある「御大典記念」(平成2年10月)です。

   

(碑文 草加神社)
「碑文 草加神社
 草加神社は氷川神社と呼ばれ、天正年間(千五百七十三〜九十二年)の頃に小さな洞を祀った
のが始りであります。
 明治四十二年四月六日に草加の町にある十一社のお社が合祀されました。これに伴い社号も草加神社と改称され、文字通り草加の総鎮守の役割を担っております。
 御本殿は周囲が立派な彫刻に飾られており、昭和五十八年二月二十二日に草加市有形文化財の指定を受けています。
 御拝殿の建立は定かではありませんが、近年、屋根の腐植が激しく、また柱等にも傷みが生じ更には、狭隘のため祭事を斎行するに支障を来すことが多く、今日に
適した御拝殿・幣殿の御造営を計画致しました。
 この度、氏子・崇敬者各位の格別な御奉賛をいただき、この大事業が完成することができました。
 茲に、草加神社の尊厳を高め、文化的遺産を守り、奉賛者各位の芳名を刻して永く後世に伝えるものです。
  平成十六年十二月吉日
  草加神社総代(略) 宮司(略)」

  

(趣旨)
 平成四年十月、大人用神輿と子共用神輿及び神輿倉を新調したことが記されています。

   

<日露戦役碑>

 日露戦役の凱旋碑(東郷平八郎書)と忠魂碑(大山巌書)があります。

  

「戦役凱旋紀念碑 海軍大将東郷平八郎書」
 「日露戦役」及び「大正三乃至九年戦役」の凱旋記念碑です。
 日露戦役紀念は、乃木希典揮毫に次いで多いのが東郷平八郎揮毫です。

     

「東郷平八郎肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
 弘化4年12月22日(1848年1月27日)〜昭和9(1934)年5月30日

   

「忠魂碑 元帥侯爵大山巌書」
 日露戦役の忠魂碑です。

     

「大山巌肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
  天保13年10月10日〜大正5年12月10日(1842年11月12日〜1916年12月10日)
 西郷隆盛の従弟であり、西郷隆盛に微妙に似ています。

   

「富士登山記念碑」(大正十五年十月銘、丸瀧講)

    

<狛犬>

 もともとは青銅製の狛犬でしたが、戦時中に金属類回収令により、供出され、
 昭和31(1956))年に奉納された二代目の狛犬です。

    

<手水鉢>

 文久2(1862)年銘の手水鉢です。

   

<神輿倉>

   

<力石>

 力石が八基並んでいます。

    

   

(説明板)
「力石は「力試し」「力競べ」に用いられた大きな石です。
これらの力石は江戸時代中頃より明治時代にかけ当神社の例大祭の際に、村中の若者達が力自慢を競うために用いらました。
娯楽が少ない環境では、力試しは若者たちのスポーツの一種であったともいわれております。
当神社には、重さ五十貫目(一八七・五kg、文政三年【一八二○年】をはじめ、八基の力石が奉納されております。」

  

<御神木>

   

<石燈籠>

 嘉永6(1853)年銘の石燈籠です。

     

<拝殿>

    

     

<天水桶>

 「仝 常夫 鋳物師 鈴木文吾」とあります。
 鈴木文吾は、東京オリンピック(1964年)の聖火台を鋳造した川口の鋳物師です。

   

<本殿> 草加市文化財

 本殿には、多彩な彫刻が配されています。

  

     

庚申板碑>

 承応2(1653)年銘の板碑型庚申塔です。

   

【境内社】

  

<稲荷神社>

    

<八幡社/三峰神社/雷電社>

   

    

草加神社標柱> 草加市高砂1-6-34

 旧日光街道にある「草加神社」の標柱です。

 「草加神社」「壹町目」「御即位紀念」
 大正4(1915)年の建立です。

     


〇C56110蒸気機関車 草加市氷川町2104-14 氷川中公園

 草加神社参道脇の氷川中公園にC56110蒸気機関車が静態保存されています。
 昭和12(1937)年に三菱重工業神戸造船所で製造され、昭和47(1972)年に廃車されました。

     

   

    

(説明板)
「C56110のあらまし
 C56形の蒸気機関車は、昭和10年2月その第1号機が誕生しました。このC56形は今までに165両製造され、そのうち90両がタイ・ミャンマーにおくられ、今でも12両がタイの泰緬鉄道で活躍しています。C56の最初の配置は日高本線(北海道苫小牧)小海線(長野県中込)七尾線(石川県七尾)などありついで木次線(島根県木次)越後線(新潟県白山)山野線(鹿児島県薩摩大口)などに配置されました。そして現在(昭和47年末)18両が全国に配置されています。C56型は小型ながらテンダー(炭水車)をしたがえ、長距離支線区用機関車として設計されています。そしてバック運転が簡単にできるようにテンダー(炭水車)の上方を切りとり、後部の見とおしのよいことが大きな特徴となっています。
 ここに設置されているC56形110は昭和12年9月に三菱造船で製造され同11月に島根県米子管理局に配置されました。そして12月に木次機関区(島根県)に配置され、山陰本線、三江北線(島根県江津-浜原)で貨物入換用として活躍していましたが、昭和47年12月に廃車されることとなり、この氷川中公園に設置保存されたものです。」

  


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