越谷方面へ水道水を供給するための水道管専用の水管橋です。人や自転車が渡ることができるようになっています。
(案内板)
「新中川水管橋案内板
この水管橋は、広域第一水道用水供給事業の一環として、新三郷浄水場から県南東部地域への給水のため設置したものです。また、この水管橋には、歩行者の交通の便を考えて、歩道橋が併設されています。
なお、概要は下記の通りです。
(一部略)
橋 長:258m(66m×1連+63m×2連+66m×1連)
水 道 管:外径1371.6mm×2条
歩道幅員:1.5m
埼玉県企業局」
階段を登って渡ります。
2020年3月に塗装済です。
橋上から、下流と上流。上流には、JR武蔵野線の鉄橋が見えます。
越谷市側の階段を降ります。この地は、旧千疋村です。
(参考)千疋屋と親父橋(こちらで記載)
千疋屋の創業者大島弁蔵は、千疋村(現在の越谷市)で大島流の槍術の道場を開く侍でした。
当時の越谷は江戸への搬水路が確立されており、夜に出発すれば、早朝には江戸に到着しました。
弁蔵は水菓子(桃、西瓜、まくわ瓜や野菜)を水路を利用して葺屋町(現在の日本橋人形町3丁目)親父橋界隈に売りに来ます。
親父橋の袂に「水くわし安うり処」の看板を掲げ店を構えました。
出身地の名を取り、千疋屋が誕生します。天保5(1834)年の事です。(日本橋千疋屋総本店「千疋屋の歴史」を参照しました。)
吉川市に戻ります。照明灯は越谷市と吉川市がそれぞれ設置しています。