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 八坂神社(鎌ケ谷市) 出羽三山供養塔


○八坂神社 鎌ヶ谷市粟野208

 元禄12(1699)年から現在も続く庚申講は、庚申塔群とともに、鎌ケ谷市文化財に指定されています。

  

    

    

<石造物>

(鎌ケ谷市HPより引用)

「【石造物】 粟野の石塔群  粟野208 (八坂神社境内)他
 元は粟野の市道をはさんで並んでいた石塔のうち、字西側にあった出羽三山講碑8基と歯吹如来像・待道権現碑・聖徳太子講碑は、道路の拡幅にともない、八坂神社へ移設された。字東側には地蔵をはさんで、14基の馬頭観音が今も見られる。その中の安永8年(1779)のものは市内最古である。
 出羽三山講碑は山形県の月山、湯殿山、羽黒山の三山の登拝を記念したもので、出羽三山講は遠隔地の有名社寺や霊山を集落の代表者が参拝することを目的として結成される代参講の一つのである。
 歯吹如来は歯痛を治す信仰があるという。ここの石造物は粟野村の人たちが天保10年(1839)に千田村(現長南町千田)称念寺の歯吹如来像参拝記念に建てたものと思われる。「歯吹」は本来、「把富貴」と書かれるという。
 侍道権現を祀る待道講は子供を産む年齢の女性たちに信仰された安産祈願の女人講である。
 聖徳太子講は大工、左官など主に建築に関る職人たちの結ぶ講で、賃金の協定や職務上の申し合わせなどを行ったものである。」

<出羽三山講碑>

 出羽三山講碑が8基と、拝殿左手に2基の計10基もあります。
 庚申塔群の横に並ぶ出羽三山講碑群です。

  

「羽黒山 月山 湯殿山 参拝記念」
 昭和三十八(1963)年七月

  

「羽黒山 月山 湯殿山 参拝記念」
 大正時代の造立。

  

「羽黒山 月山 湯殿山 参拝紀念碑」

  

「羽黒山 月山 湯殿山 参拝紀念碑」

  

「羽黒山 月山 湯殿山 三神社参拝」

  

「月山 湯殿山 羽黒山 西國三拾三ヶ所 秩父三拾四ヶ所 奉納供養」
 明治三(1870)年の造立。針金で補強されています。

   

「月山 湯殿山 羽黒山 西國三十三所 秩父三十四所 坂東三十三所 奉納供養」
 天保二(1831)年の造立。針金で補強されています。

   

「月山 湯殿山 羽黒山 西國三拾三所 秩父三拾四所 坂東三拾三所 奉納供養」
 寛政八(1796)年の造立。

   

<歯吹如来像>

 「天保十年十一月」「上総國千田村」
 粟野村の人たちが天保10(1839)年に千田村(現長南町千田)称念寺の歯吹如来像参拝記念に建てたもの。

    

<聖徳太子講碑>

 「安政四(1857)年十一月」
 折れた補修跡があります。

   

<十九夜塔>

 元禄十六(1702)年十月。

  

<粟野庚申講・粟野庚申塔群>

     

(説明板)
「鎌ケ谷市指定文化財第29号 粟野庚申講 無形民俗文化財
 鎌ケ谷市指定文化財第30号 粟野庚申塔群 有形民俗文化財
 ・指定年月日 平成25年5月1日  所在地 鎌ケ谷粟野208
 粟野は、祭礼やオコモリなど昔から続く民俗的行事が多く残っていて、地域の結びつきの強い地区です。その中でも、庚申講は、形を変えながらも江戸時代から現在まで継承されています。そして、庚申講により、江戸時代前期の元禄12年(1699)から314年間途切れることなく庚申塔が建てられ、しかも、文化12年(1815)から現在までの間(1845年と1850年をのぞく)は、5年おきに1基という規則性を守って建てられています。このことは、全国的にみても珍しい事例です。
 粟野の庚申塔は、現在、八坂神社境内に44基と粟野保育園の北西角の路傍に1基、合計45基建っています。そのうち文化12年以前に建てられた塔は、当時の流行を反映していて、一か所で様々な形態を観察できる資料としても非常に貴重です。
  平成25年7月 鎌ケ谷市教育委員会」

    

「庚申塔」

 後列右から。宝暦二(1752)年。

  

「庚申板碑」

 元禄十二(1699)年十月。下に三猿が刻まれています。

  

「庚申塔」

  

「庚申塔」

 享保五(1720)年十月。三面の像です。

  

「庚申塔」

 享保二十(1735)年十一月。

  

「庚申板碑」

 右の板碑は、明和元(1754)年十一月。左の庚申塔は、寛政十一(1799)年。

  

「庚申塔」

    

     

「庚申塔」

 後列左。

   

「庚申塔」

 前列の新しいの庚申塔です。

    

「庚申塔」

 一番左は、「令和二年十月吉日」。令和2年の最新の庚申塔です。
 右隣は、平成27(2015)年10月造立の庚申塔です。

   

<参道小社>

 参道左手と右手の小社です。

    

<狛犬>

 「いにしえも 今も変らぬ わがさとの かを里も深き 八坂大神」

    

   

<拝殿>

    

<本殿>

 本殿にも狛犬。

     

<駒形明神宮>

 「文政庚辰霜月」「平成五年一月復元」
 文政3(1820)年の造立で、平成5(1993)年の復元です。
    

<石祠>

 「明和五歳(1768)十二月」

   

【拝殿左手】

<力石>

 本殿の横に力石が二つあります。一つには重量と粟野村と刻まれています。

    

<出羽三山講碑>

 「参拝昭和十二年五月二日、参拝昭和二十一年八月四日」
 昭和39(1964)年の建立で、昭和12(197)年と昭和21(1946)年の参拝が刻まれています。

     

<出羽三山講碑>

 昭和47(1972)年3月建立。

  

<天満宮/大杉神社>

 2祠が並んでいます。平成17(2005)年6月再建。

   

<浅間神社>

 少々小高くなった場所があり、石碑「浅間神社」があります。

    

<石尊社>

 大山詣も行われていたようです。
 「明治二十六(1893)年九月」の造立。

   

<不明/三峯神社/古峯神社>

    


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