○ 萬蔵寺(辻)
○ 真福寺(別所)
○ 日月社(鹿手袋)
○ 沼影観音堂(沼影) 別頁
参道右手に石塔が建っています。
<出羽三山供養塔>
安永3(1774)年銘の出羽三山供養塔です。
(正面) 「月山 湯殿山 羽黒山」
(左側面)「武列足立郡浦和領辻村 講中」
左側面、右側面には、多くの名前が刻まれています。
<庚申塔>
宝永6(1709)年銘の庚申塔です。
<敷石供養塔>
文政9(1826)年銘の敷石供養塔です。
左面「敷石供養」が本来の正面のようです。
<庚申塔道標>
安政2(1855)年銘の庚申塔道標です。
(正面右下)「向 うらハ道」
(左面) 「南 者やせ道」
<本堂建築記念碑>
<参拝紀念>
よくこれだけ霊山に参拝する時間的余裕があったのかと感心します。
<参道左手>
馬頭観音が三基並び、二基が続きます。
上部が欠けた文化6(1809)年銘の庚申塔と、宝永7(1710)年銘の馬頭観音です。
六地蔵が祀られています。
<本堂>
「足立百不動尊」の第69番です。
<六地蔵六面石幢>
本堂前の六地蔵六面石幢です。保存状態が良いですね。
<墓地>
山門前の墓地入口に逆さイチョウの案内があります。
<六地蔵>
<阿弥陀三尊種子板石塔婆> さいたま市文化財
正和3(1314)年銘の阿弥陀三尊種子板石塔婆です。
(説明板)
「さいたま市指定有形文化財(歴史資料)
阿弥陀三尊種子板石塔婆 一基 昭和三十六年三月三十一日指定
規模 高さ 一六八・○cm
上幅 四三・一cm
下幅 四四・五cm
厚さ 五・五cm
板石塔婆は鎌倉時代から室町時代にかけて墓塔、供養塔などとして建てられたもので、板碑、青石塔婆ともいわれます。秩父に産する緑泥片岩など、石材に恵まれている埼玉県付近には特に多く見られます。
この板石塔婆は、上部中央に荘厳体の阿弥陀種子「キリーク」を刻み、その下には脇侍の観音菩薩種子「サ」、勢至菩薩種子「サク」が配されています。
下部中央には「右志者為往生極楽及至法界平等利益也」「正和三年甲寅閏三月十六日」(一三一四)、その左右に梵字の光明真言、そしてその下四行にわたり「諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教」の七仏通戒偈が刻まれています。
規模も大きく、鎌倉時代後期の典型的な板石塔婆としてきわめて保存価値が高いといえます。
平成十六年八月 さいたま市教育委員会」
<真福寺のイチョウ> さいたま市天然記念物
多くの気根が垂れ下っています。
気根が垂れ下るイチョウは、鬼子母神堂(雑司が谷)や正覚院(花畑)にもありました。
(説明板)
「さいたま市指定天然記念物
真福寺のイチョウ 昭和三十三年三月三十一日指定
イチョウ(Ginko biroba L.)は、中国原産で街路樹や庭木として広く植えられている落葉樹です。
このイチョウは台地の先端にあり、高さ十八・五メートル、幹回り五・八メートルもあります(指定時)。県内でも有数の大イチョウの雄樹で、樹勢は極めてよく、樹齢は数百年を経ていると思われます。
また、このイチョウは「逆さイチョウ」の伝説が残されています。昔々台地の下が海だった頃、船をつなぐ杭としてイチョウの木杭を逆さに打ち込んでおいたところ、その杭が根づき枝葉を出したといわれます。
平成十五年十二月
宗教法人 真福寺
さいたま市教育委員会」
<出羽三山供養塔>
天保5(1834)年銘の出羽三山供養塔です。
(正面) 「月山湯殿山羽黒山 秩父坂東西國 奉納供養塔」「諸國名山 神社佛閣」
(左側面)「八十八ヶ所土佐國青龍寺写 弘法大師一千年忌 足立郡三十六番 別所村
真福寺」
「大日要貴命」と「月夜見命」をお祀りしているようです。
「日待」と「月待」の信仰です。
<鰐口>
社前に掛かる鰐口に「天保八年三月奉納日月神」と刻まれているようですが、表からも見ても裏から見ても読めません。
<社額>
<出羽三山供養塔>
天保9(1838)年銘の出羽三山供養塔があります。
(正面)
「月山湯殿山羽黒山 坂東西國秩父 供養塔」
(右側面)
「武州足立郡與野領鹿手袋村
願主 田口又右衛門」
<力石>
「日月社改築記念碑」の裏、社殿脇に「力石」があります。