Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 横浜市金沢区 洲崎〜赤門通り〜称名寺赤門(別頁)

  ○ 洲崎広場
  ○ 八幡神社広場
  ○ 金沢八幡神社


洲崎広場 横浜市金沢区洲崎町7-4

<明治憲法草創之處碑>

 明治20(1887)年に、料亭東屋で、伊藤博文、井上毅、伊東巳代治、金子堅太郎の4名により明治憲法の草案づくりが始まったことを記念して、
 昭和10(1935)年に、東屋の庭に「憲法草創の碑」が建てられました。
 その後、東屋の廃業により、一時は旧伊藤博文金沢別邸に移設されていましたが、東屋跡地から100m程東の現在地に移設されました。

(碑文)
 「憲法草創之處
   伯爵金子堅太郎書」

   

(碑文)
「明治憲法起草の碑
この碑は明治20年(1887)伊藤博文伊東巳代治金子堅太郎らが料亭東屋において明治憲法制定のため草案を起草したのを記念し昭和10年(1935)金子堅太郎書で建立されたものである
 料亭東屋跡は金沢八景駅寄り約100米」

  

「江戸名所図会 料亭東屋」

 今から200年ほど前に、瀬戸橋際に開業した茶店です。安政5(1858)年、東屋は瀬戸大火で類焼し、瀬戸橋の東詰に移転しました。
 明治に入ってから、伊藤博文らの明治憲法草案審議の場所となりました。
 安政5(1858)年に焼失前の浮世絵等には、料亭東屋は瀬戸橋の西詰に描かれています。

  

「金澤八景 瀬戸秋月」(広重)
  満月に照らされた野島を瀬戸から見た様子が描かれ、右手に見えるのが東屋でしょう。

  

「金沢文庫案内」(京浜湘南電気鉄道 昭和15年 国立国会図書館蔵)
 「料亭東屋」は瀬戸橋の東詰に記載されています。

  

(標柱)
 「金沢歴史の道
  左金沢八景駅
  右史蹟称名寺
  洲崎広場」 

    

「健康みちづくりルート旧海岸線を感じながら歴史・海・緑をめぐる道
「金沢歴史の道」と呼ばれる旧国道沿いには、中世から現在までの歴史を感じさせる神社仏閣・遺跡・言い伝えなどが多く残されています。中世に鎌倉の東の玄関口として栄えた時代、江戸時代後期に風光明媚な場所としてたくさんの旅人が訪れた時代、近世に政治家や実業家などが別荘を建てて住んだ時代とさまざまな時代の顔を持っています。(以下略)」

    

<金沢八景モニュメント>
 銘板は劣化しており描かれている8枚の絵は見にくいです。

     

「金澤八景 洲崎晴嵐」(広重)
  洲崎の光景が描かれています。
  塩田の遠景には、松並木が続いています。

  


八幡神社広場 横浜市金沢区寺前1-10

 金沢八幡神社の左は、旧国道16号、昔の金沢道です。
 金沢道は、保土ヶ谷宿で東海道から分かれ、金沢からさらに浦賀に向かう道が浦賀道です。
 神社の右は称名寺への「赤門通り」です。

(標柱)
 「金沢歴史の道
  左 金沢文庫駅
  右 史蹟称名寺
  八幡神社広場」

    

金沢八幡神社 横浜市金沢区寺前1-10-19

 称名寺の門前町、寺前(旧寺前村)に鎮座する古社です。
 創建年代は定かではありませんが、鎌倉時代にはすでにこの地に鎮座していたといいます。
 神社の東側に沿って通るのが「赤門通り」で、称名寺の赤門とその先の参道に続いています。

    

   

<稲荷社>

   


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