「堀江水準標石」が設置されています。
「土木學會選奨土木遺産
jsce 2007
堀江水準標石」
(説明板)
「堀江水準標石
この水準標石は、江戸川や利根川の水位の基準点として設置されたものです。
明治政府は近代化政策の一環として、河川改修工事に必要な測量技術を導入するため、明治5年(1872年)オランダから技師団を招きました。そのうちの一人、リンド(I.A.Lindo;1848年〜1941年)は第一歩として、この地から水準測量を始め、「堀江水準標石」を設置しました。リンドは、測量の結果、この標石の頂点の高さを基準として江戸川河口の水位ゼロ点の高さをY.P.(Yedogawa
Peil;江戸川工事用基準面)と設定しました。Y.P.は、130年以上経った現在も両河川の水位の基準となっています。
Y.P.は、現在の標高の基準となっている「T.P.(Tokyo Peil;東京湾中等潮位)」より0.8402m低くなっています。
堀江水準標石は、土木構造物として歴史的・学術的価値が認められ、平成19年(2007年)11月18日、(社)土木学会より選奨土木遺産として認定されました。
平成20年(2008年)1月 浦安市 浦安市教育委員会 浦安市観光協会」
<鳥居/参道/狛犬>
<天水桶/社殿>
天水桶は、川口市の鋳物師山崎甚五兵衛の作です。
「昭和四十九年六月吉日 川口市山崎甚五兵衛」
<本殿>
(説明板)
「清瀧神社本殿 昭和五十七年十月二十日市指定有形文化財
この本殿は、安政二年(一八五五)九月に建て替えられましたが、建築にかかった費用は、村人達が長年にわたり、毎日少しずつ積み立てて用意したそうです。祭神は海の神様の大綿津見神です。絵図師高間惣治郎が図を描き、ケヤキの大木を上総国(現千葉県中央部)から買い求め、棟梁肥前松五郎が一本の木で建築したといわれます。
建築様式は、木造三間社(正面の柱間が三つあるもの)、流造り(屋根の前面を長くしたつくり)で、精巧華麗な彫刻が施されている点が大きな特色です。なかでも正面の龍の彫刻および浦島太郎や竜宮城などの浮き彫りは見事で、高欄の下には海の神社にふさわしく、波間に千鳥の彫刻があります。
平成十三年三月 浦安市教育委員会」
玉垣:左は、琴を弾き白龍に乗って四海を飛遊する仙女の玉巵。
右は、鳳凰に乗る仙人。
本殿横には、左は亀に乗った浦島太郎、右に竜宮城が見えます。
「芳年漫画 浦島之子帰国従竜宮城之図」(月岡芳年 都立図書館蔵)
参考までに、月岡芳年が描く浦島太郎と竜宮城です。
<瀧神社>
瀧神社の手前に「堀江水準標石」があります。
<富士塚>
(説明板)
「富士塚
この山は、富士山を模したもので大正十一年(一九二二年)七月従来からあった山を清滝神社世話人や、富士講中達が住民から墨石の寄贈を受け、改築造したもので、頂上に木花咲耶姫命を祀った石造りの浅間神社があり、登山口の灯篭一対と明神鳥居は地区有志の奉納による。
毎年六月三十日には神前に神楽が奉納され、富士講の人達は境川で水行をとり、体を浄めたあと、真っ白な行衣に白の帯を締め、手甲、脚絆に身を固め、菅笠をかぶり、金剛杖とりんを持って、六根清浄と唱えながら神社に参拝し、翌七月一日富士山の山開きに出発する。
盛況を極めた富士登山も昭和初期には次第にさびれ、今日ではほとんど影をひそめている。
平成二年三月 浦安市教育委員会」
富士塚に上る2人の石像が見えます。初めて見ました。
<八坂神社/道祖神社>
<稲荷社>