○ 杉浦農園直売所
○ 矢喰村庚申塚
○ 矢切神社
○ 水上勉氏旧居跡
野菊のこみち終端から矢切駅まで、歴史の散歩道をたどり、
「矢喰村庚申塚」「矢切神社」「水上勉氏旧居跡」に向かいます。
庚申塚の中心に、寛文8(1668)年銘の庚申塔(松戸市文化財)が祀られています。
庚申塚の角には、「歴史の散歩道」の道標が設置されています。
(碑文)
「矢喰村庚申塚の由来
温暖で平坦な下総原野が川と海に落ち込むこの矢切台地に人が住んだのは約五千年前 朝に魚や貝を採り夕べに鳥や獣を追う平和な生活も下総の国の国府が国府台に置かれた千三百年程前から武士達の政争の場となりなかでも北条氏里見氏の国府台合戦はこの矢切が主戦場となり戦没者は一万余を数えました 家は焼かれ田畑は荒らされ女子供年寄りは逃げまどい 男どもは人足に狩り出され 傷つき一家は離散この塗炭の苦しみから弓矢を呪うあまり「矢切り」「矢切れ」「矢喰い」の名が生まれ親から子 子から孫に言い伝えられ江戸時代中期に二度と戦乱のないようやすらぎと健康を願い庚申仏や地蔵尊に矢喰村と刻み朝夕お祈りをしてきました このたび先人たちの苦難と生きる力強さを知り四百年前の遺蹟と心を次の世代に伝えるため平和としあわせを祈り この塚をつくります
昭和六一年十月吉日 庚申塚保存会」
<庚申塔>
庚申塔が三基あります。
「庚申文字塔」
安永5(1776)年銘の庚申文字塔です。
「庚申文字塔」
寛政12(1800)年銘の庚申文字塔です。
「庚申塔」松戸市文化財
寛文8(1668)年銘の庚申塔です。
(標柱)
「寛文八年銘 庚申塔
石像群の中央に位置するこの庚申塔は、青面金剛を主尊としており、塔身高が一九六cm、形状は光背型。
造立年は寛文八年(一六六八)です。中央上部には阿弥陀三尊種子と日月、青面金剛像の足元には三猿が刻まれています。」
平成三年二月 松戸市教育委員会」
「道祖神」
紀年不詳の石祠です。
「馬頭観世音」
明治39(1906)年銘の馬頭観音です。
「弘法大師像」
案内板には地蔵尊とありますが、台座に「第五十七番」とあり、弘法大師霊場札所碑かと思います。
「延命地蔵尊」
享保18(1733)年銘の延命地蔵尊です。
「十九夜塔(念仏供養塔)」
延宝2(1674)年銘の如意輪観音の十九夜念仏供養塔です。
「十九夜塔」
元禄6(1693)年銘の如意輪観音の十九夜塔です。
「安全地蔵尊」
昭和61(1986)年の建立。
「穂賀裸佳地蔵尊」
平成23(2011)年の建立です。
「矢切を育てた先人達」の説明碑が建っています。
<やすらぎの像>
昭和61(1986)年の建立です。
<参道/社号標>
階段参道左手に社号標「矢切神社」、右手に古い街灯が建っています。
<神狐>
<手水鉢>
舟形の手水鉢です。
<拝殿/本殿>
神社拝殿の屋根には地元の左官職人高橋三四郎が大正元(1912)年に描いたとされる龍の鏝絵があります。
<天満宮>
<手水鉢>
文化7(1810)年銘の手水鉢。「江戸八町堀松屋町」の2名による奉納です。
<紀念碑>
昭和56(1981)年に天満宮の覆堂を建立。
<力石>
北参道沿に力石が並んでいます。
松戸市資料によると、9基(明治・大正・昭和・不明)が記載されています。
<忠魂碑>
<石祠群>
「疱瘡神」寛政元(1789)年
「元宮第六天」天保13(1842)年
「水神」元文5(1740)年
「稲荷明神」天保11(1840)年
作家水上勉氏は、昭和32(1957)年9月(38歳)から34(1959)年10月までの2年間、下矢切に住んでいました。
(碑文)
「水上勉氏旧居跡
(松戸市下矢切一二三番地)
現在矢切駅敷地内
水上勉氏は、昭和三十二年九月から三十四年十月まで下矢切の地に居住。矢切の豊かな自然に触れ、不遇時代を過ごし直木賞候補作となった「霧と影」(三十四年八月刊行)を執筆。
昭和二十三年「フライパンの歌」刊行以来約十年の沈黙を越え、作家としての再出発を遂げた。」
「平成九年十一月 建立 松戸市」