谷中稲荷神社は、下総国風早庄八木郷小金領大谷口城の馬奉行だった石井惣右衛門政同が谷中を開発、
天正18(1590)年に村の鎮守として勧請したといいます。谷中稲荷神社は、大場川沿にあります。
大場川下流 大場川上流側と谷中稲荷神社
<力石>
(説明板)
「ここでいう「力石」とは、労働を人力に頼らざるを得なかった時代に労働者の間に発生し、力くらべや体力を養うのを目的にした石を指す。
すなわち「力石」による「力持ち」は、一人前の男としての通過儀礼、鍛錬および娯楽としての要素が濃厚であった。と述べている。
また、その呼称は「力石」の他に「さし石」など多くの呼び方があったようである。」
<手水鉢>
<石燈籠>
天保3(1832)年銘の石燈籠です。
<鳥居/境内社>
文化9(1812)年銘の鳥居の先に、「日枝神社」「天神社」があります。
説明板「天神社の由来」が消えかかってよく読めません。
<鳥居/拝殿/本殿>
谷中稲荷神社前の路地の路傍に出羽三山供養塔があります。
文化2(1806)年の造立です。
「月山 湯殿山 羽黒山 秩父西国坂東」