16世紀後半に、50戸以上の集落の吉川郷・彦成郷の二郷と、その南の50戸に満たない半郷を合わせて「二郷半領」と呼ぶようになりました。
二郷半領は天領(幕府直轄領)で、代官所の支配を受けました。
二郷半領は有数の水田地帯で「早稲米」を江戸に積み出すため、中川を利用する舟運が発達しました。
稲わらを利用した、わら工品も江戸に出荷され、近年まで国技館の土俵だわらづくりに受け継がれてきました。
また、中川の対岸の八条領千疋村では、千疋屋の創業者大島弁蔵が水菓子(桃、西瓜、まくわ瓜や野菜)を舟運を利用して運び、
葺屋町親父橋の袂に「水くわし安うり処」の看板を掲げ店を構えました。
「江戸時代はじめの新田開発関係図」(足立区立郷土博物館所蔵)
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【吉川市】
(高富)
○ 新中川水管橋
(道庭)
○ 千躰庚申塚
(木売)
○ 黄金の巨大鯰/なまりん
○ マンホール蓋
(きよみ野)
○ マンホール蓋
○ なまりん
○ 森と鯰
(加藤)
○ 消火栓の蓋/仕切り弁
【三郷市】
(彦倉)
○ 延命院(彦倉虚空蔵尊)
○ 彦成小学校講堂記念館
(彦川戸)
○ 史跡「彦名関跡」
○ 彦川戸香取神社
(天神)
○ 東京ガス「ガス導管橋」
〇 潮郷橋
(上彦名)
○ 地蔵院跡
○ 上彦名香取神社
○ 八條橋移管記念碑
〇 八条橋
(彦成)
○ 彦成の石仏群・とろけ地蔵
○ 消防団シャッター絵
(彦音)
○ 彦音の庚申塔道標
(彦糸)
○ 安養院稲荷神社
(谷中)
○ 谷中稲荷神社
○ 出羽三山供養塔
(戸ヶ崎)
○ 常楽寺
(仁蔵)
○ カラー消火栓蓋